久し振りの、夜の街
おはようございます。と言っても、もう昼の12時過ぎてる…
ダラダラ起きて、TVを観ながらコーヒー飲んで、シャワーを浴びて、こうしてブログに向き合っている。
昨夜は、4日後から私が肉体労働の仕事をするということで、暫くは、肉体的に遊ぶ余裕も無くなるだろうからと、親友が遊びに誘ってくれた。
食事をして、20時頃からオープンラストで、最後は二人で、健全な(ホントにですW)足つぼマッサージで閉めくくり、家路についたのが午前3時
数年前までは、飲もうが飲むまいが、用事が有ろうが無かろうが、夜の街には繰り出した。それが日課の様だった。
別に、夜の街を肩で風切り闊歩するなんて感じじゃないですよ。
ただただ、夜の街が好きだった。綺麗なお姉ちゃん達や色んな人種が行き交う、夜の街の雰囲気が好きだった。
久し振りのネオン街、やっぱええなぁ~と、思いながら、もう一度、堅気の世界で成功して、毎日とは言わないまでも、週末は夜の街で、懐気にせず遊べるようになれるよう、「帰ってくるぜ(笑)」と誓いを立てて家路についた次第です。
ブログ書きながら、おいっ、こんな生活できるのも、あと3日だぞ、と、自分に言い聞かす(苦笑)
4日後の朝からは、早朝5時半起きで仕事だ。大丈夫だろうか…
おにぎり
どれくらいぶりだろう、昨晩寝る前から無性に「おにぎり」が食べたくなって、先ほど朝食に、カミさんに、おにぎりを握らせ食べた。
「おにぎり」「おむすび」「にぎりめし」私にとって呼び方などはどうでもいい。
重要なのは、形と海苔の巻き方である(苦笑)
コンビニ行くと、色々な具材の「おにぎり」が置いてある。中には米や具材の産地や
ブランドにこだわった物が沢山陳列してある。
でも、なぜだか、コンビニの「おにぎり」を買って食べたいと思わない。食べたことはある。
私的に、あの整い過ぎた、角張った三角形とパリパリですぐ割れてしまいそうな、海苔がどうも好きじゃない。(あのパリパリの海苔が売りなのかもしれないが)
形は丸みのある写真のような三角形が好きだ。
あと海苔の巻き方、これはこだわる(笑)
この海苔の巻き方、地方によってなのか家なのかわからないが、違いが出る。
私の母は、写真右のように持ち手の真ん中だけに海苔を巻く「おにぎり」
カミさんの母は、写真左のように全体を海苔でくるむ「おにぎり」
軍配は、カミさんの家の、全体を海苔でくるむ「おにぎり」
しなぁーとした、海苔でくらまれ、食べたときに「キュッ」と音がしそうな「おにぎり」が、たまらない。
「おふくろの味」なんて言葉がよく聞かれ、私も濃い味付けのおふくろの作った料理が美味いと思う。それで育ててきてもらったから当然、おふくろの味が美味いに決まっている。ただ、「おにぎり」だけは違うんだな。。。
小学校の頃、「おにぎり遠足」なんてものがあった。おかずは禁止。
おにぎりだけ持って、小学生が何キロも歩く遠足。
普段の弁当ではよく、友人同士で弁当のおかずの交換とかしていたが、おかずがない。
そこで、友人と「おにぎり交換」をしてみた。
友人の家の「おにぎり」は、全体を海苔でくるむ派。どんな味かは表現しにくいが、我が家では作らない、その「おにぎり」が衝撃的に美味かった。
友人は友人で、銀シャリの見える我が家の「おにぎり」が、普段食べない「おにぎり」だからか気に入って食べてくれていたのを、おぼろげに覚えている。
その後、何度かおふくろにねだって、海苔でくるんだ「おにぎり」を作ってもらっが、何かが違う。なんだろう。。。
義母やカミさんの作る「おにぎり」は昔食べた、友人の「おにぎり」に近い。
11月から始まる仕事の弁当は、しばらく、カミさんに「おにぎり」で良いと言った。
「あら、簡単で楽チンだから、ありがたい」と笑っていた。
こもりっきりの日曜日
現在の時間はPM10:50 今日は一歩も外に出ていない
朝から溜まって放置していた録画番組やTV、パソコンを覗きながら、昼寝までしてしまい1日が終わる。
確かに、金銭的な余裕が無くなってきたのも事実だが、近頃、こんな日常が多いのだ。プチ引き籠り気味だ。なんだか、外に出るのが面倒だ。
昼間数時間は表に出てみたものの、夜は家でTVを観たり、PC開いたり、、、
ありえない、、、
私は、本来、じっとしていられない性分なのだ。
カミさんにはよく「ホント、じっとしていられない人だね」と、呆れられたものだ。
日曜日なども家でゆっくりなんてしたことがない。
日曜は、日頃、午前様だろうが、朝帰りだろうが、文句を言わせなかったカミさんに、カミさん孝行と称して、必ずショッピングに出かけたり、食事に行ったり、無計画に遠出してみたり、付き合わされるカミさんの方がウンザリするくらいに、出かけるのが好きな人間であった。
ヤクザな生活を送っている時は、着道楽な私は、毎朝、何を着て出かけようか、ゆっくりコーディネートや支度に時間をかけ、一度外に出たら、日付が変わる前に家に戻ることなど、365日のうち30日も無かった。
ヤクザは一見、毎日ぶらぶら遊んでるように見えるだろう。確かにそうだが、
毎日ぶらぶら外に出ることが仕事だと思っていた。
とにかく、外に出て、人と会い、お茶をして、食事をして、酒を酌み交わし、
人と会うことで人脈を作ったり、情報を得たりしてシノギに変えていく。
時には一人で飲みに行くこともあった。綺麗に飲んで遊んで、金を切って、店の人間や、お客さんに、自分を見せるのも営業みたいなものだった。
外に出なきゃ顔も売れないし、人とも会えない。
でも、足を洗うと、その必要がないし、かえって、ぶらぶらしていることが恥ずかしく感じる。
「あの人、堅気になったのに、ぶらぶらしてて仕事がないのか」
「堅気になったのに仕事もしないでぶらぶらして、なにやってるだろう」
「やっぱり、やくざやめたら、なにもできないんだなぁ」
と、そういう風に周りから見られている気がして、ダメ人間のレッテルを貼られる気がして、外に出ることに恐怖を覚える。
今は、早く仕事をしなきゃ、やりたい事を見つけなきゃと、気が焦るばかりである。
11月から、取り合えず、昔からの支援者の会社で肉体労働をする。
あと4日何をして過ごそうか、、、やることある筈だが、気力がわかない。
鬱や引き籠りとは言わないけれど、これってヤバくないか?と自問自答する。
変わりたい自分 もう一つ足を洗いたいもの
11月から、知り合いの会社に働きに出ることになり、最後の週末。
朝から気合を入れて、近くのホールに。
博徒系といっても、今なんて賭場を開いてるようなヤクザは皆無で、いわゆる
暴力団ってやつだ(苦笑)
だから、私は博打をしない。
でも、パチンコは学生のころから大好きで、やめられない。
パチンコしている時は、台に集中して、嫌なことも忘れ、自分の世界に入る。
現実逃避に近い(笑)
パチンコも今は、楽に5、6万は負けるし、ヤケクソになると10万なんてザラだ。
負ければ悔しいし、腹も立つ、台を叩き壊してやろうかと思った衝動に、何十、何百回かられたことか、、、
決して、Mっ気が強いわけではないのだが、この負けた時の惨めさというか、悲壮感が、博打の中毒性の原因の一つではないかと思う。
相変わらず、「北斗無双」は空きがない。ぐるぐるしてると1台見つけた。
内容を記しても、パチンコに興味のない人には無意味だろうから記さないが、約6時間で¥56000も負けた(泣)
これから働く日当で考えたら、クタクタに働いた4日分に近い給料が、水の泡だ。
やってられない、、、
これまで、何度も、パチンコをやめようと考えたが、働きに出ることを機会に
今度こそパチンコからも、足を洗いたいと思う。
FX 投資で食えたらなぁ~
11月から、現場仕事に出ることを決意した私だが、もう一つ、もう一度、真剣に取り組んでみようと思うことがある。「FX投資だ」デイトレの挑戦!
できれば、そのうち、ブログのタイトルも「ヤメゴクのFXデイトレ日記」なんて
かっこいいタイトルに、いつか大見得きって変えれる日が来たらいいな(笑)
25年ヤクザ稼業で生きてきた私だが、大きな博打という博打をしたことがない。
競輪、競馬、競艇、任侠映画に出てくるような賭場に出入りしていたこともなければ、カジノや非合法な博打もやらなかった。もちろん、1回2回は経験で見物遊びがてら行ったことはあるけど、博打ごとに大きな金を賭けたり、有り金無くしてまでやろうとは思ったことがない。
麻雀もヘタクソだ。たまにやれば、一応は博徒(やくざ)のくせに、堅気のカモにされる始末、、、要するに「博才」というのが無いのだ。
それが自分でわかっているから、のめり込まない。
ただ、FXと株には、けっこう使った(苦笑)数百万溶かしては、休憩して、また資金投入して、やられてと、結構な勉強代を払った。
その頃は、まだお金が回っていた頃だから、自分でこれは「博打じゃなく投資だ」
「株やFXで正攻法で飯が食っていけるように」なんて甘い夢見て、何度も挑戦しては、夢破れたりの繰り返し、、、
でも、今度こそはと、残り少ない資金を投入して再挑戦する!
この半年、やることなくて、投資の本は結構読んだ。
これまでとは、違う。なによりも、11月からは日当¥18000の現場仕事をしながらだ。
仕事から帰って来て、就寝迄の数時間。
強い精神力と冷静な判断で挑まないと、1日の重労働の賃金が一瞬で吹っ飛ぶ。
ガチでやります。ですから、無理にはエントリーもしません。
そんな、私のFXの挑戦も踏まえながら、雑記していきます。
人の「モノサシ」を変える
人間の価値観、プライド、知識、このあたりの意味をひっくるめて、私が長年身を置いた稼業では「モノサシ」という言葉をよく使う。(私の周りだけかもしれないが 笑)
若い時には、よく、親方や兄貴分、諸先輩から「てめぇのモノサシで話すんじゃねぇ」とか「てめぇのモノサシで考えるな」とよくお叱りを受けた。
プライドや価値観に関しても、よく、この言葉を使う。
足を洗って、一番困るのが、この、自分の「モノサシ」をなかなか下げれない。
変えられないことだ。
ヤクザを辞めても、ええ格好しぃで見栄っ張り、お金の価値感や使い方の感覚が、やはり、普通の人とは少し違う。カミさんからもよく叱られる(苦笑)
プライドが邪魔して、何ができるわけでもないのに仕事も選んだりしてしまう、、、
そこで、モノサシを変えるためにも、働きに出ることを決意した。
この半年、自分にどんな仕事ができるのか?
悩みに悩み、起業の仕方も調べたり、友人知人に相談もしてみたが、なかなか定まらない。
自分で事業をするにも、まだ通帳も作れず、会社も作れない。どこかで仕事を学びに会社に就職しようにも履歴書が書けない、、、
25年も職歴がなく、空白の25年間を聞かれたらなんて答えれば良いのか、、、
変なところで真面目な私は、嘘は書けないし、、、
そんな中、幸いにも私の昔からの支援者の土木会社の社長が雇ってくれることになった。
何もできない私を、何か私が自分でやれること、やりたいことが見つかるまで、バイトのつもりで来たらいいですよと、働いてる間に、やりたいことや何かが見えてくるかもしれないから、それまで来たらいいですよ、と、その社長は、現場仕事などしたことのない私を、破格の人工賃で使ってくれるという。
本当にありがたい。
息子さんたちとやっている会社だが、息子さん達も私とは10年来の顔見知り。
息子さん達は複雑な心境のようだ。そりゃそうだ。私の素性も過去も知っており、
仕事では自分達の方が先輩であり、仕事ができるのだから、何にもできない私に指示を出して使うのは、さぞ使いづらかろう、、、
正直、私としても、本当は自分が一番避けたかった、土建の現場で仕事をすることになるが、これは、自分のモノサシを変える、良いチャンスかもしれない。
私は子供がいないが、いれば、息子位の若い人達と、毎日、汗水流して現場で働いてみたら、お金の有難さ、働いてお金を稼ぐ尊さ、価値観、物の考え、見え方が変わり、
私のモノサシが変わるかもしれない。
季節外れの、桜散る
まともに受験などしたことない私でも、「桜咲く」「桜散る」と受験シーズンになると
聞いたことがある言葉。今も使うのだろうか?
ヤクザを辞めて、約1年ボーっと過ごし、飲食店に就職、1年少々でお店が潰れてしまい、また無職、、、一念発起して、宅地建物取引主任者試験に挑戦!
先日、日曜に受験してきた。合格率15% 50問の2時間
これまで受験や勉強とは無関係、無縁の私
それでも、それなりに勉強はしたつもりになって挑んだが、速報の答え合わせで
32点、、、今年の合格ラインが36点と言われており、4点足らずで
「桜散る、、、」
32点は自分的には、意外に取れたなと思う反面、30点や半分も取れずに不合格なら、笑って「こんなもんさと、、、」と諦めもつくが、解答合わせで、試験中迷いに迷った、選択ミスを含めると、合格ラインが本当に微妙だったこともあり、悔しくもなってきた。
振り返って見れば、友人知人と遊びたい誘惑、何かと自分に理由をつけて勉強時間を短縮したり、さぼったり、己の甘さを痛感した。
来年リベンジして、来年は自分の中で「季節外れの桜を咲かせたい」